映画版『推しの子』

以前のブログで、Prime Video ドラマ版『推しの子』について書いたが、映画版『推しの子』を観たのでその感想について書かせていただく。

ドラマ版はすごく面白かった。
しかし、映画版は…。

ストーリーとしては…。
産婦人科医の吾郎は、かつて研修医時代に担当していた少女 さりなを病気で失う。
そして現在の吾郎は、そのさりなが大好きだったアイドルグループ「B小町」のアイを推すことで日々楽しんでいた。
そんなゴローのもとへ妊娠したアイが訪れる。
ショックを受けるのもつかの間、謎の人物に突然襲われ死んだゴローは、わけもわからないままアイの息子として生まれ変わる。
そして、アクアと名付けられた彼は、“推しの子”として幸せな毎日を送っていた。
そんなある日、アイが何者かによって殺されてしまう…。

これが、いわばこの映画のAブロックだ。
そして、吾郎の生まれ変わり アクアが芸能界に身を置きながら、自分の父親、つまりアイを死に追いやった本当の犯人を探す展開がドラマ版のBブロック。
また、映画に戻り、復讐を果たそうとする展開がCブロック、という構成になっている。

ここまでロジックに説明してわかるように、映画版A、Cブロックは、ドラマ版Bブロックをサンドイッチしている。
つまり、Bブロック(ドラマ版)を観ていないと、話についていけなくなってしまうため、映画版では、ある程度その説明のためにも時間を費やしている。
しかもAブロックも、吾郎を成田凌が演じており、こちらもある程度時間を使って丁寧に描いている。

結果として、いわば映画本編であるはずの、主役 櫻井海音演じるアクアの復讐ストーリーが、私には驚くほど淡白に感じてしまった。

しかも、二宮和也演じる父親 カミキヒカルが、ひどく利己的で、且つ(原作もそうなのか、時間がなかったからかわからないが、)薄っぺらい人物になっており、アイが好きになる(シンパシーを感じる)要素が微塵も感じられないのだ。

そのため私は、この展開に全く感情移入ができなかった。
それがこの映画の残念な点であった。

もちろん、私はドラマ版も事前に観ていたのでそれなりに楽しめたのだが、そもそも映画版のみ観に来た観客はどう感じたのだろうか?
「主役の櫻井くんが中々出て来ない…」と感じたのではないだろうか?

そういうわけでこの映画は、近年のメディアミック展開の難しさを痛感する映画でもあったのだった。