『哀れなるものたち』

チラシの写真も添付したが、このアートワークで“ジャケ買い”=すぐ観に行くつもりだった。
しかしその後「セクシャルなシーンがある」という事前情報などで、休日や平日の夕方回は女性客が多いことも予想され、オヤジが一人で行くのがなんとなく憚られてしまった。
しかし、今年のアカデミー賞4部門受賞を受け、平日の昼間の空いている回であれば問題ないだろうと判断し、鑑賞することにした。

もしかしたら、まだ観ていない人がこのブログを読むかもしれないので、あらかじめ書いておくが、あらゆる意味で「すごい映画」である。
正直私が「セクシャルなシーンがある」という事前情報以外何も知らずに入ってしまったせいもあるが、序盤30分で「グロい」シーンに圧倒され、「もう(映画館から)出ようかな…」とさえ思ってしまった。

ただそれを乗り越えると、これが主人公ベラの成長譚であり、最後まで観ると映画的なカタルシスもあり、そして思い返してみると、序盤の(ウイリム・デフォーの特殊メイク含め)グロいカットさえ緻密で美しく、航海シーンのCGのアートワーク、何の特殊効果もなく撮影されているはずの屋敷の中を歩くドリーカット、ベラ役エマ・ストーンの変貌してゆく役作り、音楽とMEが一体化した音作り等々、一秒の隙もなく出来上がっている映画だとわかるのだ。

思えば、まだミニシアターとか単館系という言葉が全盛であった若いころ。
今やライブハウスと化してしまった渋谷シネマライズや、シネスイッチ銀座などで映画を毎週のように観ていた。
そして私は(、今はもう観ようとも思わなくなってしまった)、デビット・クローネンバーグやピーター・グリーナウェイのような難解な映画が好きだったことを、ふと思い出した。
つまり『哀れなるものたち』というこの映画は、少なくとも、今の日本の映画マーケティングの潮流とは、全く違う所に存在する映画だということは書いておきたい。

余談だが、セクシャルなシーンを俳優と制作側で調整するインティマシーコーディネーターが、日本には二人しかいないらしい。
もし『哀れなるものたち』を日本で製作するとなると、インティマシーコーディネーターは毎日撮影に参加しなければならないだろう。そして、毎日その交渉をしなければならないだろうから、他の(きわどいシーンがある)映画の撮影は、ほぼストップせざるを得ないのではないだろうか…。

そういうわけで、上述したように素晴らしい映画であることは間違いないが「少し疲れた…」。
当分は、アクションとかミステリーとか、心(や内臓までも)が擦り減らされない映画を観て過ごしたい。