「行(ぎょう)」という名のハイキング
私はすでに両親とも他界している。(妻も去っているので、まあ、孤独というものを謳歌している)
そういうわけで、少し早いがお彼岸の墓参りに、両親の眠る横浜のお墓に行ってきた。
墓参りに行くといつも思うのだが、日本人というのは信心深い。お盆やお彼岸の時期には、霊園の駐車場が満杯になるのだ。
正直私は、あまり神とか仏とかは信じていないので、なんなら火葬場で焼いた後は、もうそれ以上燃えないのだろうし、そのまま遺灰を「燃えないゴミ」の日に出していただいても構わないとさえ思っている。
ただ、そんな私でさえ、こうしてお彼岸には、お墓参りしている。
なぜだろう?おそらく、両親に迷惑かけ通しだった人生の罪滅ぼし、まあ、そんなところだろうか。
まあ、それはさておき、その霊園へは、往きはバスで行ったのだが、帰りは天気がいいこともあり、霊園の脇(上)から北鎌倉(建長寺)に抜けるハイキングコースを通って、徒歩で帰ることにした。
気候もいいし、前半は、さわやかな気分で順調に歩いた。
しかし、疲れが出始めたころからだろうか、このハイキングコースは「ハイキング?」と疑問符をつけたくなるような道に変化し、時折、ロープが張ってあったり、手を使わなければ登れなかったり、さながら「フィールドアスレチック」の様相を呈してくる。
そして、中間地点に差し掛かったころ、私の足はついに悲鳴を上げ、つってしまった…。
少し休んだ後歩き始めたが、道はさらに険しくなり、しかも細い道がいくつにも分かれている箇所でさえ、道順が示されていない。けれど、中間地点を過ぎていることを考えても、進むしかない。
私は、足を引きずりながら勘で歩く。時に竹林の中を彷徨い、時に後方からくる人のあとを追けながら。行くも地獄、戻るも地獄とはこのことだろうか…。
そして、ボロボロになりながらたどり着いた<建長寺 半僧坊>。
とりあえずブログを書くために写真を撮ったが、意識はもうろうとしていた。
ちなみに建長寺とは、正式には巨福山建長興国禅寺といい、山号は地名の巨福呂から、寺号は年号からつけられた。本尊は木造地蔵菩薩坐像。鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の本山である。
そして、半僧坊は建長寺の鎮守であり半僧坊大権現を祀っている、いわゆる奥の院とのこと。
この日は、そのまま家路につき、ビールを飲んでボロ雑巾のごとく眠った。もちろん、翌日は使い物にならず…。
次回はまた、気楽な町中華の話題でも書きたい。