アマプラで『室町無頼』を観た

つい先日(2025年1月17日)公開したばかりの作品だ。
わずか三か月程度でAmazon Primeで観れるのだから、「劇場で観なくてよかった」と思って観た。
「本当に(木戸銭払って)観なくてよかった…」
<ストーリー>
1461年、応仁の乱前夜の京。大飢饉と疫病がこの国を襲った。
賀茂川ベリにはたった二ヶ月で八万を超える死体が積まれ、人身売買、奴隷労働が横行する。
しかし、時の権力者は無能で享楽の日々を過ごすばかり。貨幣経済が進み、富める者はより一層富み、かつてない格差社会となっていた。
蓮田兵衛は、己の腕と才覚だけで混沌の世を泳ぐ自由人。各地を放浪する彼の眼差しは、ひとり遠く暗黒時代の夜明けを見つめていた。
一方、才蔵はすさまじい武術の才能を秘めた若者。
天涯孤独で餓死寸前を生き延びたが、絶望の中にいた。しかし、兵衛に見出され、鍛えられ、才蔵は兵法者としての道を歩み始める。
才蔵の武器となるのは、“六尺棒”。地獄の修行を終えた時、超人的な棒術を身につけた才蔵の前に敵は無い―。
時は来た―。
才蔵だけでなく、抜刀術の達人、槍使い、金棒の怪力男、洋弓の朝鮮娘ら、個性たっぷりのアウトローたちを束ねる兵衛。
ついに巨大な権力に向けて、京の市中を舞台に空前絶後の都市暴動を仕掛ける。行く手を阻むのは、
洛中警護役を担う骨皮道賢。兵衛と道賢はかつて志を同じくした悪友ながら、道を違えた間柄。
かつては道賢、いまは兵衛の想い人である高級遊女の芳王子が二人の突き進む運命を静かに見届ける中、“髑髏の刀”を手に一党を動かす道賢に立ち向かい、
兵衛は命を賭けた戦いに挑む。
この蓮田兵衛という人間のキャラクターが全くつかめない。
映画を観ただけでは、こういう大きな謀(はかりごと)を企むバックボーンも素養も見えてこない。
しかも、これだけの人を束ねられる(好かれる、あるいは惚れられる)人物にも見えてこない。
(まあ、大泉洋という人のキャラクターに引っ張られる部分もあるのかもしれないが…)
同時に、骨皮道賢との対決軸というか、なぜ二人に深い友情があり、それが袂を分かつことになったのか?その経緯も描き切れてないため、よくわからない。
この入江悠監督はつかみどころのない人だ。
もちろん、優秀な監督だと思う。『あんのこと』素晴らしかった。
ただ、私のイメージは『SR サイタマノラッパー』や『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴りやまない』のような、PFF系というか、自主製作出身の強い個性のある作品を作る人というイメージであった。
しかし、この作品は「昭和」の東映時代劇を意識したような音楽だったり(、そうかと思えば、時代劇に不釣り合いなピアノメインの音を当ててみたり)、殺陣シーンに妙な撮影(編集)ギミックを駆使してみたり…。
本来重視すべき、室町の混沌とした世相を映す時代物としての重さを軽視し、別なことで個性を発揮しようとした結果、時代感のない軽い作品として仕上げてしまった演出だったような気がしてならない。
まあ、興行収入は5億~10億未満みたいなので、さほど外したイメージはないが、個人的には厳しい映画だった…。