『ウィキッド ふたりの魔女』

ちょっと失敗してしまった。
字幕版と間違えて、吹き替え版を観てしまった…。
『ウィッシュ』のようなアニメならともかく(というか生田絵梨花の歌が聴きたかったし)、実写のミュージカル映画を本国製作の歌で観れなかったのはまずかった。
<ストーリー>
魔法と幻想の国オズにある<シズ大学>で出会ったふたり― 誰よりも優しく聡明でありながら家族や周囲から疎まれ孤独なエルファバと、誰よりも愛され特別であることを望むみんなの人気者グリンダは、大学の寮で偶然ルームメイトに。見た目も性格も、そして魔法の才能もまるで異なるふたりは反発し合うが、互いの本当の姿を知っていくにつれかけがえのない友情を築いていく。
ある日、誰もが憧れる偉大なオズの魔法使いに特別な力を見出されたエルファバは、グリンダとともに彼が司るエメラルドシティへ旅立ち、そこでオズに隠され続けていた“ある秘密”を知る。それは、世界を、そしてふたりの運命を永遠に変えてしまうものだった…。
映画『ウィキッド』は、L・フランク・ボームの児童文学『オズの魔法使い』をベースに小説化され、それをさらにミュージカル舞台化されたものを映画化した作品である。
先のアカデミー賞でも、シンシア・エリボの主演女優賞、アリアナ・グランデの助演女優賞など10部門にノミネートされている。
それだけに、字幕版で観なかったのは「しくった」!
映画自体の話ではなく、この映画のもしかしたらテーマになっているかもしれない、「差別」や「偏見」について書いてゆきたい。
この作品の主人公エルファバは生まれた時から肌が緑色である。そのことで、親を始め、友人たちからも阻害されて育った。
人は、自分の経験や想定にないものに触れると「恐怖」する。
そして、その感情をその人のせいにするため、差別し阻害する。
実は、私が観た劇場には、一組だけ小さい女の子を連れた親子連れが来ていた。
しかし、残念ながら、ものの10分で退出してしまった。
おそらく女の子が「怖くて観れなかった」のだろう…。
もちろん、その女の子を責めるつもりも、最後まで観させなかった親を腐すつもりなど毛頭ない。
ただ、それは難しい問題を孕んでいる様に感じてしまった。
特に日本のように長く単一民族で国家を形成してきた国の民は、たとえ子供であっても「肌の色」の違いに関して、実際に触れてきた経験がないため「敏感」であるように思う。
いや、私とて同じだ…。肌の黒い人は、経験や知識として知っているから変な反応を示すことがないが、肌が緑色の人がいたら、やはり恐怖するだろう。
私は『オズの魔法使い』の話も、小説『ウィキッド』も内容を知らない。
だから、後編でエルファバがどうなってゆくのか?肌の色の違いから、差別される側であるが故に人が変わってゆくのか?
単純に興味がある。
後編も、ぜひ観に行きたいと思っている。
映画自体の感想は…。まずまず面白かったし、高畑充希は頑張っていたと思う。
でも、字幕版で観なかったのは「失敗したな。やっぱり…」。