ある閉ざされた雪の山荘で

『一スジ、二ヌケ、三ドウサ』。
筋とは「ストーリー」、ヌケとは映像の美しさ~「映像のクオリティ」、そして「動作」つまり、演技。これが、牧野省三監督の『映画の三原則』である。
ここから転じて、新藤兼人監督の『一スジ、二ヌケ、三役者』という言葉もあるが、私が映画学校時代に師事していた松竹の映画カメラマンは、ヒットの原則として『一スジ、二ヌケ、三スター』と語っていた。
まあ、要は、それだけ役者の部分は大事だということである。

『ある閉ざされた雪の山荘で』を観た時、この言葉が思い出された。
稀代のヒット小説家 東野圭吾の同名小説が原作である。スジの一部は問題ない。(一部というのは、原作までであり、脚本はもちろん重要であるから)
二ヌケ。密室劇だし、そこは端から難しい部分ではあったが、まあ、細かくは言わないが、割と腐心していたと思う。

で、三だが…。
(制作陣に知り合いが多く関係しているので、あまり悪く言うつもりはないが…)
なんか、70点と言おうか、落第でも合格でもない、微妙な感じだった…。

はっきり言って、私もプロデュースする際、キャスティングは本当に苦労した。メジャー映画会社でないと、ここは難敵なのだ。
とはいえ、メジャー原作であることを考えると、それなりにはツモれる。なんか、この「それなりに」感が満載なのだ。

「あの役か、あの役に、菅田将暉だったらなあ。いや、もしかしたら断られたのかなあ…」。
そんな妄想をしてしまうし、同時に、演出家の「役者(芝居)を追い込む」感じが感じられない。
「70点」。そんな感じの作品は、作品に入り込めないし、作家やアイドルといった一部ファンだけを取り込む作品になっており、まだ一週目だが、おそらく興行収入も「それなり」の作品なのだろう。

やはり「三ドウサ、役者、スター」どの言葉でもいいのだが、100点をツモれないなら、製作者は「考えるべきこと」があるのだと思った映画であった。