映画『メガロポリス』を観た

世界一好きな映画『ゴッドファーザー』のフランシス・フォード・コッポラ監督の最新作。
ハリウッド資本に頼らず、製作費を自己調達したらしい。
<ストーリー>
21世紀、アメリカ共和国の大都市ニューローマでは、享楽にふける富裕層と苦しい生活を強いられる貧困層の格差が社会問題化していた。
市の都市計画局局長を務め、名門クラッスス一族の一員でもある天才建築家カエサル・カティリナは、新都市メガロポリスの開発を推進する。
それは、人々が平等で幸せに暮らせる理想郷(ルビ:ユートピア)だった。
だが、財政難の中で利権に固執する市長のフランクリン・キケロは、カジノ建設を計画し、カエサルと真正面から対立する。
また一族の後継を目論むクローディオ・プルケルの策謀にも巻き込まれ、カエサルは絶体絶命の危機に直面するが…。
まあ「問題作」です。
ゴールデンラズベリー(ラジー)賞にノミネートされ、最低監督賞を受賞。
正直、コッポラのような巨匠に対して失礼だとも思うが、1億2000万ドルの製作費に対して、アメリカでの興行収入は1200万ドルということを考えると、批判はやむを得ない。
ただ、この受賞に対し、コッポラは「『メガロポリス』これほど多くの重要なカテゴリーでラジー賞を受賞したこと、そして私自身が最低監督賞、最低脚本賞、最低作品賞にノミネートされたことを誇りに思います。今の映画界では、流行に逆らう勇気を持つ者はごくわずかだから!」と語っており、ラジー賞自体が悪きアメリカ映画界の象徴だと言いたいようだ。
私の感想を詳述する前に、私自身を振り返ってみると。
『ゴッドファーザー』『地獄の黙示録』『アウトサイダー』等大好きなコッポラ作品は多い。
しかし、2000年代以降、彼が撮った作品は一本も観ていないことに気がついた。だから、最近の作風については、もしかしたらよくわかっていないのかもしれない。
ゆえに、これから語る感想は「今」の彼を語るには的外れなのかもしれない。
そのことだけ、ご了承いただきたい。
私の中のコッポラに対するイメージは、撮影監督ゴードン・ウィリスと共に作り上げた一大叙事詩『ゴッドファーザー』であり、苦難を乗り越え、撮影監督ヴィットリオ・ストラーロと共に撮り上げた『地獄の黙示録』である。
それは、「映画芸術」というものの極みだと思っている。
しかして、この作品はどうだろうか?
絢爛豪華なオペラの世界。古代ローマの匂いが強く残るニューローマ(舞台の元になっているのはニューヨークである)。
そして、ラブストーリーでありながら、人間の本質を哲学的に追求する複雑なストーリー。
もしかしてこれは、「舞台芸術」を映像追求したものなのか?
だから予算はかけているが、どれもCG然とした奥行きのないのっぺりした映像。
彩度を上げ、ミストフィルターをかけたような色味(スタジオのみで撮った、ほぼCG合成映画『300(スリーハンドレット)』と酷似している)。
しかもそれが、ある意味舞台的なのかもしれないが、正面打ちの画が異様に多い。
(今更?)意識しているわけでもあるまいが、『オペラ座の怪人』をミュージカル映画化したブライアン・デ・パルマ監督『ファントム・オブ・パラダイス』のようなマルチ画面構成も然り。
何か、どれも私の好きなコッポラとは違うのだ。
「う〜ん…」。そんな感じの映画である。
ちなみに、私が仕事をしたことがある(でも、全く認めていない)ディレクターは劇賞していた。まあ、芸術系大学を出た人にはそうなのかもしれない。(そういうところも嫌。)
ただ、私にはやはり良いと言い難い作品であった。
PS.最初のシーンのアダム・ドライバー、梶原善にしか見えない(笑)。