エンツォ・フェラーリという男の生き方

映画『フェラーリ』を観た。
マイケル・マン監督作品であり、映画『ヒート』のLA銃撃シーンに匹敵するような、大迫力のレースシーンと、ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノの重厚な掛け合いのような、人間臭いドラマを期待し、以前から楽しみにしていた作品だ。

もちろん面白かったし、レースシーンもスピード感、そしてスリルがあった。50歳になった大女優ペネロペ・クルスが演じるラウラ・フェラーリは怖いほどの迫力だった。
しかし私には、どうにもエンツォ・フェラーリという男の人間性が理解できないため、いつまでたっても、この映画に没入する感じが得られなかった。

というより、もしかしてそもそもエンツォ・フェラーリの半生に人間ドラマを期待する方が間違っているのか?
役者(『スターウォーズ』カイロ・レン役のアダム・ドライバー)の演技も物語の端から“難しい”顔で入っているので、エンツォの感情の起伏が私には見えて来ず、レースで人が死んだ時も、愛人の子供を認知しない時も、自分のことしか考えない、ただただ自分勝手でわがままな男の生きざまを見せられているようで、感動という気持ちが全く起こらないのだ。
(イタリア人の男って、自分勝手で普通にあんな感じなのか…?)

とはいえ、F1などのカーレースが好きな私にとっては、レースシーンだけでも十分楽しめたし、ルールに雁字搦めの現代F1に比べると、このころのレースは命がけの面白さがあったんだろうなと、想像できるほどの迫力があったことだけは付け加えておく。

次は『クワイエット・プレイス DAY1』についてブログを書きます。
では。