キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン
遅ればせながら『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を観てきた。
早く観たいとは思っていたが、もう4週目だったし、すでに一日一回興行になっていたので、まあ、客の入りはそれほどではなかったか…。
出演は、レオナルド・ディカプリオとロバート・デ・ニーロという、スコセッシ映画御用達俳優がメインを務めており、テーマもスコセッシらしい、重めのものだったので、今の時代の日本で大ヒットを狙うには、少々難しいものだった気もする。(それに、TikTok世代に3時間26分はね…)
内容は、20世紀初頭のアメリカ・オクラホマ州の話。
先住民族のオーセージ族は、石油を掘り当てて莫大な富を得るが、その財産を狙う白人たちが彼らに近づき、白人たちはオーセージ族を言葉巧みに操っては財産を次々と取り上げ、やがて命までも奪っていく、という内容で、デ・ニーロがキングと呼ばれる白人の悪のトップ、その甥っ子のディカプリオが悪に加担し、堕ちてゆく話である。
私は、ディカプリオが好きだし(『ギルバート・グレイプ』での演技はすごかった)、デ・ニーロも大好きだし(一番は、『ゴッドファーザーpart2』かな)、スコセッシももちろん大好きだ(『グッドフェローズ』だな)。
だから、もちろん観たが、どうしてだろう?つらかったんだよな…。
コロナでしばらく遠ざかった期間に、長時間の映画館耐性が弱くなってしまったのか?SNSに毒されて、長尺に耐えられなくなったのか?所詮、インディアン(アメリカ先住民)問題は、日本人には芯を食うテーマでないからか?ちょっとわからないが、いずれにしろ「う~ん…」と思ってしまった。
まだ、これから観る人もいるだろうから、内容的な批判は、あまりするのは止めておこうと思うが…。
ディカプリオの名演技と、そもそも「下手な演技」とは何かについて、ちょっと考察してみた。
『クイック&デッド』という映画がある。『死霊のはらわた』のサム・ライミ監督の西部劇だ。
正直、あまり興行的に成功した作品というイメージはないが、私が「やっぱ、ディカプリオいいなあ」と感じたのは、死の演技だ。
日本の下手な役者は、死の演技を『記号』的にガクッとすることで表現しようとする。
しかし、若い役者であるディカプリオのその時の死の演技は、まさに『息絶える』ことを見事に表現していた。
また、単純に表現力もすごかったが、私には「肌の色」さえ演技しているように見えた。
トム・クルーズ主演の『ア・フュー・グッドマン』のジャック・ニコルソンの法廷での怒りの演技もそうだが、白人のうまい役者は、自らの肌の色の変化もコントロールしながら、感情や体調をも表現している。
なかなか、日本の役者にはできない芸当ではあるように思う。
若いディカプリオ好きの方には、ぜひ『クイック&デッド』も観ていただきたいな。
今回のは少々長くなったが、コロナで弱くなった劇場耐性を取り戻すためにも、どんどん映画を観て、またブログを書いていこうと思う。
では。