スプリングスティーン、大好きだったな…
最近、ちょっと海外に行っていた。
『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』。
実は機内上映で観た作品だ。
<ストーリー>
1975年リリースのサードアルバム「明日なき暴走 BORN TO RUN」で一大センセーションを巻き起こしたスプリングスティーン。
それから7年が経った1982年のニュージャージーで、彼は人生の大きなターニングポイントを迎えていた。
世界の頂点に立つ直前、スプリングスティーンは成功の重圧と自らの過去に押しつぶされそうになりながらも、わずか4トラックの録音機の前で、たったひとり静かに歌いはじめる。
私は若いころ、スプリングスティーンのファンだった。こういうと年齢がバレるが(笑)。
それくらいアメリカのロックの象徴的存在だった。
だから、楽しみにしていたのだが、あまりにも早く上映期間が終わってしまったため映画館では観ることができず、まさかの機内上映での鑑賞となったわけだが…。
内容的には、正直、残念というより、ショックだったかな…。
本作『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』は、ロック界のレジェンドであるブルース・スプリングスティーンの半生をたどる作品だ。
アメリカの労働者階級の哀歓を歌い上げ、「ボス」と呼ばれてきた彼。
その楽曲は、社会へのまなざしと個人の孤独を同時に抱え込む強度を持っていた。
だからこそ私は、破天荒な成功譚や、激しい葛藤、スキャンダラスな逸話の数々をどこかで期待していたのだと思う。
しかし映画が描くのは、意外なほど内省的で、静かな人生だ。
厳格な父との確執、名声の裏で抱え続けた不安、そして創作への誠実な姿勢。
もちろん苦悩はある。
だがそれは、いわゆるロックスター的な自滅や放蕩とは質が違う。
アルコールやドラッグに溺れ、スキャンダルにまみれるといったドラマチックな転落は前面には出てこない。
むしろ、地道に音楽と向き合い続ける職人的な姿勢が強調される。
その点で、どうしても思い出してしまうのが『ボヘミアン・ラプソディ』だ。
あの作品では、フレディ・マーキュリーというカリスマの光と影、セクシュアリティの葛藤、バンド内の対立、エイズという過酷な運命までが、濃密なドラマとして畳みかけてくる。
観客はジェットコースターのような感情の起伏を体験する。
対して本作は、良くも悪くも波が穏やかだ。
もちろん人生に優劣はない。
だが映画として観たとき、物語的な“枷”や“爆発”が少ないことは否めない。
ロックスターという言葉から私たちが連想するのは、常軌を逸した才能と同時に、常軌を逸した生き方だ。
しかし本作のスプリングスティーンは、むしろ真面目で思索的で、家庭や仲間を大切にする人物として描かれる。
彼の楽曲が持つ叙情性や誠実さは、そうした人格の延長線上にあるのだろう。
だが、スクリーンの中でそれを見せられると、どこか拍子抜けしてしまう自分もいる。
自分がいかに「ロックスター」という虚像を消費してきたのかを突きつけられた気もした。
スプリングスティーンみたいな人がうつ病だとは知らなかった。
勝手に、もっと破天荒な行動やエピソードが出てくることを期待している自分がいたのかもしれない。
まあ、「ロックスター」とはいえ、音楽の才能に恵まれた「普通の人」であったとしても、不思議はないのか…。
