Amazon『ジャック・ライアン 灰色の正義』

Amazon Primeの『ジャック・ライアン 灰色の正義』を観た。
正直に言えば、最初に感じたのは「これは、どの時代のジャック・ライアンなのだろう?」という戸惑いだった。

ジャック・ライアンというキャラクターは、もともとトム・クランシー作品の象徴的存在であり、冷戦時代の空気感と強く結びついていた。
ソ連という巨大な敵が存在し、核戦争の恐怖が現実味を持っていた時代だからこそ、情報戦や諜報戦に緊張感が宿っていたのである。
しかし現在、映画、ドラマ、スピンオフ作品などでジャック・ライアンという名前だけが独り歩きし始めている印象がある。

ある意味では『スター・ウォーズ』に近い。
「この作品はどの時間軸なのか」「過去作との整合性はどうなっているのか」と考え始めると、途端に物語への集中が削がれてしまう。
もちろん、厳密なユニバース管理を楽しむファンもいるだろう。
ただ、ジャック・ライアンというシリーズの場合、本来の魅力はそこではなかったはずだ。

『ジャック・ライアン 灰色の正義』も、現代社会の不安をテーマにしているのは分かる。
国家の腐敗、テロ、情報操作、巨大組織の陰謀。扱っている題材そのものは決して悪くない。
だが、そのどれもがどこか既視感に満ちている。
むしろ「今の世界」を描こうとしているのに、描写の感覚が少し古いのだ。

例えば現在の国際情勢は、冷戦時代のような「敵味方が明確な構図」ではない。
国家よりも企業やプラットフォーム、AIやサイバー空間のほうが現実的な脅威として存在感を持っている。
しかし本作は、そこを十分に掘り下げるわけでもなく、従来型のスパイアクションの枠組みに戻ってしまう。
その結果、「現代を描いているようで、実は昔ながらのスパイ映画を少しアップデートしただけ」に見えてしまうのである。

さらに気になったのは、ジャック・ライアン自身のキャラクター性だ。
かつてのライアンは、肉体派ヒーローではなく、知性と分析力で危機を突破する人物だった。
だからこそCIA分析官という立場に説得力があった。
しかし近年の作品では、どうしても万能型アクションヒーローへ寄ってしまっている。銃撃戦も格闘戦も強い。
もちろん映像作品として派手になるのは分かるのだが、それなら他のスパイ作品との差別化が難しくなる。

今は『ミッション:インポッシブル』も『ボーン』シリーズも存在する時代である。
その中でジャック・ライアンに求められているのは、「地味だが妙にリアル」という独特の緊張感だったのではないか。
会議室の会話ひとつに重みがあり、軍事的判断や外交的駆け引きが恐ろしく見える。
そのリアリティこそが、トム・クランシー世界の魅力だったはずだ。

本作は決して退屈ではない。
テンポも悪くないし、映像も十分にハリウッド水準だ。
ただ、観終わったあとに残るのは、「ジャック・ライアンである必要があったのか?」という疑問だった。
ブランドだけが残り、中身の時代性がぼやけてしまっている印象が否めない。

やはり個人的には『レッド・オクトーバーを追え』がベストだったように思う。
あの作品には、冷戦という巨大な現実が背景に存在していた。だから潜水艦の静かな駆け引きに、本物の恐怖と緊張感があったのだろう。
結局スパイ物は、モチーフに(時代性含めた)リアリティがないと、なかなか面白くはならないのかもしれない。