映画『シラート』

そういや、昔付き合っていた女の子が❝レイブパーティー❞が好きで、❝トランス❞が好きだったなあ…。

<ストーリー>
ルイスは砂漠でのレイブパーティに参加したまま行方がわからなくなった娘を捜すため、息子エステバンとともにモロッコの山岳地帯から砂漠の奥地へと車を走らせる。
やがて彼らは現実と幻覚が混濁するような野外レイブ会場にたどり着くが、そこにはすでに娘の姿はなかった。
父子はレイブの参加者グループを追い、娘が向かったと思われる次のレイブ会場を目指すが……。

正直、映画『シラート』の前半を観ている時は、「これは娘を探す父親のロードムービーなのだな」と思っていた。

物語は、息子を連れた父親が、失踪した娘の行方を追うところから始まる。
娘はレイブパーティーのコミュニティに入り込み、そのまま消息を絶った。
父親はわずかな手掛かりを頼りに砂漠へ向かい、各地のレイブ会場を巡りながら娘を探していく。

そこで出会うのが、キャンピングカーで移動する奇妙な若者(?)たちだ。
彼らもまた次のパーティー会場を目指して旅を続けている。
父親と息子は彼らと行動を共にし、広大な荒野を進んでいく。

ここまでの展開だけを切り取れば、確かにロードムービーである。
娘を探す父親と息子の親子ドラマがあり、道中で出会う人々との交流があり、果てしない砂漠の風景がある。
むしろ前半は非常に静かで、物語の進行もゆったりとしている。

しかし、観ているうちに妙な違和感が積み重なっていく。

全体を通してレイブパーティーがモチーフになっているのだが、この参加者たちが実に不気味なのだ。

若者だけではない。おじさんもいるし、おばさんもいる。
年齢も国籍もバラバラな人々が、巨大なスピーカーから流れる重低音に身を委ね、延々と踊り続ける。

彼らは楽しそうにも見える。

自由を謳歌しているようにも見える。

だが同時に、どこか危うい。

何かに取り憑かれたように踊り続ける姿は、祝祭というより宗教儀式に近い印象すら受ける。

そして監督は、その様子を説明しない。

なぜ彼らがここにいるのかも深く語らない。

ただフィックスしたカメラで長回しを続ける。

観客は逃げ場のないまま、その光景を見つめさせられる。

最近の映画なら細かなカット割りでテンポよく見せそうな場面を、この作品は徹底して長回しで撮る。
その結果、観客はレイブの現場に立ち会っているような感覚に陥る。

この演出が実に怖い。

ホラー映画のような怪物は出てこない。
脅かしの演出もない。
それなのに、何か得体の知れないものに近づいている感覚だけが増幅していく。

『シラート』の恐怖は、まさにそこにあるのだと思う。

そして後半。
映画は突然、別の顔を見せ始める。

次々に起こる「事件」。

次々に死んでいく人たち。

それまで旅を続けていた仲間たちが、あまりにも唐突に消えていく。

観客は何が起きているのか理解しきれないまま、その現実だけを突き付けられる。

それは事故なのか。運命なのか。
あるいは世界そのものの狂気なのか。

映画の背景には戦争の気配が漂っている。
荒廃した風景や軍事的な緊張感も見え隠れする。
だから、この作品を「戦争反対」の映画として読むこともできるのだろう。

しかし、終盤に至る頃には、そんな解釈すら後回しになる。
なぜなら、目の前で起こる出来事のあまりの残酷さと理不尽さが、観客の心を直接抉ってくるからだ。

説明ではなく体験。
メッセージではなく感覚。

『シラート』はそういう映画である。

ロードムービーだと思って観始めた作品が、いつの間にか悪夢のような終末映画へと変貌していく。
そしてその悪夢は、決して派手な演出ではなく、静かな長回しと乾いた風景の中から立ち上がってくる。

観終わった後、何を描いた映画だったのかを言葉で整理するのは難しい。
だが、胸の奥に残る衝撃だけは消えない。

それこそが『シラート』最大の魅力だろう。
理解する映画ではなく、心に傷跡を残す映画。その強烈な体験こそが、本作を忘れ難い一本にしている。