映画『箱の中の羊』
これ、鎌倉が舞台だったのね…。
<ストーリー>
少し先の未来。
建築家の甲本音々とその夫で工務店の2代目社長を務める健介は、2年前に亡くした息子・翔の姿をしたヒューマノイドを迎え入れることになる。
ヒューマノイドが到着した日、翔と同じ笑顔と声をした彼を音々が喜んで迎える一方で、健介は戸惑いを隠しきれず硬い表情を浮かべる。
家族の時間は少しずつ動き出すが、やがて予期せぬ事態が起こり、夫婦が息子の死に対してそれぞれ抱えていた想いがあらわになっていく。
そんな中、ヒューマノイドの翔はひそかにヒューマノイドの仲間たちとつながりはじめる。
「箱の中の羊」とは、サン=テグジュペリの小説『星の王子さま』に登場する有名なエピソードだ。
飛行士である主人公は、星の王子さまから「羊の絵を描いて」と頼まれる。
しかし、何度描いても王子は納得しない。
そこで主人公は箱だけを描き、「羊はこの箱の中にいる」と説明する。すると王子は大喜びする。
つまり「箱の中の羊」とは、実在する絵そのものではなく、“見る側が想像し、そこに意味や命を見出す行為”の象徴なのである。
映画『箱の中の羊』は、この寓話をタイトルに据えながら、「人は存在しないものに魂を見出せるのか」というテーマへ踏み込んでいく。
是枝裕和監督が着想したのは、中国で「生成AIを使って亡くなった身内をよみがえらせるサービス」が流行している記事を読んだことだという。
近年、AI技術によって故人の声や会話を再現するサービスは現実に登場しているが、この映画はそこからさらに踏み込み、「家族とは何か」という問いへ接続していく。
是枝監督はこれまでも『そして父になる』や『万引き家族』で、「血のつながりか、共に過ごした時間か」という家族観を描いてきた映画作家だ。
本作ではさらに一歩進み、相手が“人間ですらない存在”だった場合、人はそこに家族としての絆や魂を感じられるのか、という問題を提示している。
亡くした子どもの代替として構築されたAI存在に、夫婦は次第に愛情を抱き始める。
つまり、この映画における「羊」とは、人間側がそこに見出そうとする魂や感情そのものなのだろう。
テーマだけを聞けば、極めて現代的で興味深い。
生成AI時代における喪失、孤独、家族の再定義を扱った意欲作であり、是枝監督らしいヒューマニズムも感じる。
しかし、正直に言えば、自分にはこの映画の根幹がどうしても受け入れられなかった。
なぜなら、見た目がどれほど人間そっくりであっても、それは結局「ロボット」でしかないからだ。
もちろん、SF作品では昔からAIやアンドロイドとの共生は描かれてきた。
『A.I.』や『ブレードランナー』のように、「人間とは何か」を問い直す作品も存在する。
ただ、本作はそうしたSF的距離感ではなく、かなりリアルな人間ドラマとして描かれている。
そのため逆に、「いや、それは機械だろう」という感覚がずっと消えないのである。
特に後半、夫婦がAI存在に対して本物の家族同然の態度を取り始める展開には、どうしても乗れなかった。
確かに、喪失感の埋め合わせとして依存していく心理は理解できる。
しかし、それを越えて“魂”まで見出してしまう感覚には飛躍がある。
観客側が「箱の中に羊がいる」と信じられなければ、この映画は成立しないのだが、自分には最後までただの精巧なプログラムにしか見えなかった。
そのため、主役夫婦がラストで選択する行動も、まったく理解できなかった。
感動的なクライマックスとして演出されているのは分かるのだが、「なぜそこまで執着するのか」「何を守ろうとしているのか」が腑に落ちない。
結果として、映画が最終的に何を言いたかったのか、自分の中では最後まで掴み切れなかった。
是枝監督は、おそらく「人間は関係性の中で家族を作る存在だ」と言いたかったのだと思う。
そして、その相手がAIであっても、人は愛情を抱き得る、と。
しかし、その前提を観客側が受け入れられるかどうかで、この映画の評価は大きく分かれるだろう。
少なくとも自分にとって『箱の中の羊』は、「箱の中に羊はいる」と言われても、最後まで箱しか見えなかった映画だった。
