映画『ミッキー17』

『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督作品である。
<ストーリー>
失敗だらけの人生を送ってきた男ミッキーは、何度でも生まれ変われる“夢の仕事”で一発逆転を狙おうと、契約書をよく読まずにサインしてしまう。
しかしその内容は、身勝手な権力者たちの命令に従って危険な任務を遂行し、ひたすら死んでは生き返ることを繰り返す過酷なものだった。
文字通りの使い捨てワーカーとして搾取され続ける日々を送るミッキーだったが、ある日手違いによりミッキーの前に彼自身のコピーが同時に現れたことから、彼は反撃に出る。
「expendables」=「使い捨て」の人間をコピーできる未来社会。
おそらく、そんなことから発想されたストーリーだろう。
素晴らしい発想だと思う。
そしてその未来は、当然のことながら「生」の尊厳が希薄な世界だろうし、そこから導き出された世界観は、今までに観たことのないSF(サイエンス・フィクション)だった。
ところが、私にはこの映画は冗長で、あまり面白く感じられなかった。
『ミッキー17』の「17」とは、いわば「17番目のミッキー」ということだ。
結局、簡単に生き返れる17号や18号で「人間ドラマ」を作ろうとしても、私には感情移入ができないのだ。
しかも宮崎駿チックだけど、「リアル」な「蟲」(クリーチャー)がたくさん出てきちゃうと、やはり、心がそっち方向にシフトしていかないのだ。
こういうSFはやっぱりアクションとか、そうでなければ、もっと観念的な複雑な世界観にしてしまった方が面白かったのではないだろうか?(クローネンバーグ的な)
一言で言えば「見方の難しい映画」で、宣伝=ポスタービジュアルも、よくわからない方向性だった気がするのだ。