水戸光圀公の話

「こちらにおわすお方をどなたと心得る。恐れ多くも先の副将軍 水戸光圀公にあらせられるぞ!」
考えてみれば、ずいぶんと王業な物言いだが、士農工商、武士のトップ2となれば仕方ないのだろう。(今、副総理辺りがこんなこと言ったら、「知らねえよ、馬鹿!」って、言われるのがオチだろうが)
その水戸黄門だが、鎌倉観光という面で見れば、偉大な功績を残した人なんだと最近になって初めて知った。
NHKの『ブラタモリ』という番組がある。私も面白そうな回はたまに見るのだが、正直今まで、鎌倉を特集した回は見たことがなかった。
それが、先日本屋に立ち寄った折、偶然『ブラタモリ』の長崎、金沢、鎌倉を特集した回を書籍化したものを発見した。そして、私はいずれも好きな街だし、これを購入することにしたのだ。
その中で、鎌倉をフィーチャーした回についてまとめられている箇所を読んで初めて知ったのが上述した件だ。実は、水戸黄門は諸国漫遊なんてしてなかったこと。そして、唯一遠出したのが鎌倉なんだということ。
光圀は、その際の自身の見聞を元に、12年の歳月をかけて全8巻12冊の地誌『新編鎌倉志』を編纂したのだが、内容としては、鎌倉や江の島の名所旧跡の数々を絵入りで詳細に解説しているものだ。
そして、これを元ネタとして広く情報が発信され、江戸時代から現在に続く、観光都市鎌倉の礎が築かれたということらしい。
まあ、確かに、先日X(Twitter)でも書かせていただいたが、今、江ノ電の鎌倉高校前駅は、海外(主に韓国)からの観光客でとんでもないことになっている。
もちろん『スラムダンク』の影響なのだが、洋の東西を問わず「インフルエンサー」というものが流行を先導し作ってゆくのは、今も昔も変わらないのだなあと改めて感心してしまった。
(扉の写真は、今も昔も変わらず、鎌倉観光の目玉である鎌倉大仏の写真を貼らせていただいた)
それでは。
また次回も、鎌倉の話題について書きたいと思っている。