アニメ映画『トリツカレ男』
いしいしんじ原作『トリツカレ男』。
小説として大ヒットした訳ではないが、実はずいぶん昔から知っている。
詳しくは言えないが、私の知人が実写映画化しようとしていたからだ…。
<ストーリー>
何かに夢中になると他のことが目に入らなくなってしまうジュゼッペは、街の人々から「トリツカレ男」と呼ばれている。
彼がとりつかれるものは、三段跳びや探偵、歌など、誰も予想できないものばかり。
ジュゼッペは行き場のないネズミのシエロに話しかけるうちに、ネズミ語をマスターする。
ある日、昆虫採集に夢中になっていたジュゼッペは、公園で風船売りをしているペチカに一目ぼれし、今度は彼女に夢中になる。
勇気を出してペチカに話しかけるジュゼッペだったが、彼女は心に悲しみを抱えていた。
ジュゼッペは大好きなペチカのため、相棒シエロとともに、これまでとりつかれてきた数々の技を使って彼女の心配事をこっそり解決していく。
まあ、奇想天外な話である。
そもそも『トリツカレ男』というタイトルからして、主人公が“なにかに取り憑かれてしまう”男だということは想像がつくが、映画版はその奇妙な原作の魅力を、鮮やかで軽やかなアニメーションによってさらに拡大してみせる。
そして、本作を語るうえで外せないのは、アニメーションとミュージカル表現との驚くほどの親和性だろう。
そもそもアニメ映画は、現実の物理法則や因果関係から自由である。
その自由さこそ、感情が高まった瞬間に歌い出す、あるいは踊り始めるといったミュージカル特有の“飛躍”と極めて相性がいい。
実写では照れや不自然さが先立ってしまう場面でも、アニメーションなら、動きの誇張や色彩の変化によって感情の高揚を自然に描き出せる。
『トリツカレ男』はまさにこの特性を最大限に利用し、ジュゼッペの情熱が別の対象へと“乗り換わる”瞬間を、音楽とビジュアルの連携で見事に魅せてくれる。
さらにこの映画の優れている点は、ミュージカル表現が単なる装飾にとどまらず、ジュゼッペの心の揺れや成長を象徴する装置として機能しているところだ。
歌と踊りは彼の“取り憑かれる瞬間”を視覚化し、同時にその情熱が本物なのか、ただの一時的な衝動なのかを観客に問いかける。
だからこそ、ジュゼッペがペチカのために必死で自分自身と向き合おうとする場面の歌は胸に響くし、彼が初めて“取り憑かれるだけではダメだ”と知る瞬間は、ミュージカルでありながらミュージカルの枠を超えた印象さえ残す。
奇想天外でありながら、どこまでも人間の感情に寄り添ってくる映画。
アニメとミュージカルという二つの表現方法の相性の良さを、これほど自然に、そしてこれほど楽しげに見せてくれる作品はそう多くない。
『トリツカレ男』はまさにその幸福な結実と言える。
冒頭に話を戻し補足すると…。
実写映画化は決まりかけていた(ように思う)。
というのは、某芸能事務所の社長が、所属の某有名俳優を主役に起用することにOKしていたから。
ただしその条件は、プロデューサーの権利を私の知人から取り上げ、その社長自身がプロデューサーをすること。そして、原作を大きく改変することであった。
知人はそれを断った。原作に忠実に実写映画化したかったからだ。
今、アニメを観て言えるのは…。
「実写映画って、ムリじゃね?」。
