アマプラで『ゆきてかへらぬ』を観た

この作品も劇場公開から3か月後のアマプラ配信だ。
まだ順次公開している最中(公式サイトでは「絶賛公開中」となっている)のようだ。
正直、こういう3か月後配信なら劇場に行かないパターンもありうるので、製作サイドとしても、アマゾンで今後のラインアップみたいなことを公開してもらっちゃ困るんだろうな…。
<ストーリー>
京都。
まだ芽の出ない女優、長谷川泰子は、まだ学生だった中原中也と出逢った。
20歳の泰子と17歳の中也。どこか虚勢を張るふたりは、互いに惹かれ、一緒に暮らしはじめる。
価値観は違う。けれども、相手を尊重できる気っ風のよさが共通していた。
東京。
泰子と中也が引っ越した家を、小林秀雄がふいに訪れる。
中也の詩人としての才能を誰よりも知る男。
そして、中也も批評の達人である小林に一目置かれることを誇りに思っていた。
男たちの仲睦まじい様子を目の当たりにして、泰子は複雑な気持ちになる。
才気あふれるクリエイターたちにどこか置いてけぼりにされたようなさみしさ。
しかし、泰子と出逢ってしまった小林もまた彼女の魅力に気づく。
本物を求める評論家は新進女優にも本物を見出した。そうして、複雑でシンプルな関係がはじまる。
重ならないベクトル、刹那のすれ違い。
ひとりの女が、ふたりの男に愛されること。
それはアーティストたちの青春でもあった。
もうすぐ(6月6日より)『国宝』が公開される。
ぜひ観たいと思っている。
歌舞伎の伝統、慣習、仕来りなどがテーマで、決して「今」を描いた作品ではないかもしれない。
でも、やはりそそられる。
この『ゆきてかへらぬ』もまた現代的なテーマではない。それは別に構わない。
でも、これはそそられない。
「企画」という言葉は、「画(え)」を「企てる」と書く。
映画の企画は、まさにそういったもので、「ヒット」するための映像作品を「企てる」のだ。
よくヒットする映画の企画は、三行で面白いと思わせることが出来る、と言う。
でもその企画とは、「ストーリー」だけのことではない。キャスト等も含めてのことだ。
細かくは言わないが、「この主演で、昭和初期の詩人 中原中也(、長谷川泰子、小林秀雄)の話を映画化」という企画書で、当たると感じたのだろうか。
ちょっと高尚な題材、そして大抜擢した主演俳優という「雰囲気」に酔ってしまっていたのではないだろうか?
私も経験あるが、初号試写で「いい出来だった」などと感想を言い合いながら、内心「やばい…」と思ってた人達が、相当数いたのではないだろうか。
まあ、映画の企画って、目が眩むんだよねえ…。
そんなことを感じた作品であった。
映像は、(フィルムルックで)奇麗だったし、おそらくスタジオに組んだであろう家のセットも、ロケセットも、すごくよかった。製作費はかかっていたと思う。
ただ、これを今見て何を感じればいいのか、私にはわからなかった…。