映画『私はあなたを知らない、』

いい映画だった。
でも興行的には、あんまり入ってないのかなあ…。

<ストーリー>
天涯孤独の身である28歳の西山夕平は、自分の中で決められたルーティンをこなすだけの日々を過ごし、その環境を寂しいとも思わないまま生きてきた。
そんな彼の日常は、職場にやって来た新しいパート職員・東浜紗月の存在により一変する。
彼女と出会い、生きる喜びを得た夕平の毎日は輝いていく。
ある日、夕平は紗月から5歳の娘・朝子を紹介され、彼女がシングルマザーであることを知る。
紗月と朝子との生活で、「家族」という幸せの形を初めて知った夕平の心は開放されていくが…。

映画『私はあなたを知らない、』は、よく出来た脚本だと思った。
特に印象的なのは、物語の中に何気なく登場する小道具や言葉が、後になって大きな意味を持ってくることだ。
いわゆる伏線回収が実に巧い。

その一つがパン切り包丁だ。

序盤、有平がパンを切る場面で、彼がパン切り包丁を知らないことが描かれる。
普通の家庭で暮らしていれば、ある程度身近な存在であるはずの道具を有平は知らない。
この何気ない描写が、彼がこれまでどのような生活をしてきたのか、「普通の家庭」というものをどこか知らずに生きてきたことを感じさせる。

ところが、そのパン切り包丁が、物語の終盤では殺人の凶器になってしまう。

食卓でパンを切るための道具が、人を殺すための道具へと変わる。
家庭的で穏やかな日常を象徴していたものが、一転して家族の崩壊や暴力を象徴するものになる。
この反転が非常に巧い。単なる伏線回収というだけでなく、一つの小道具に作品のテーマそのものを背負わせている。

そして、もう一つ重要なのがサボテンだ。

有平が紗月のために買ったサボテンは、当初は二人の間にある思い出の品だった。
それが時間の経過とともに、紗月の娘である朝子とのつながりや、紗月をめぐる記憶そのものへと意味を変えていく。

だからこそ、紗月の「サボテンは捨てた」という言葉が、有平にとって大きな意味を持つ。
自分にとって大切だったものが捨てられた。
紗月との思い出も、そこからつながった朝子との関係も、すべて否定されたように感じたのではないか。
その言葉が引き金となり、有平は取り返しのつかない凶行へと走ってしまう。

しかし、ここでも脚本はさらに一段ひっくり返す。

サボテンは実は捨てられていなかった。紗月はそれを祖母に渡しており、祖母はそのサボテンを大切に育てていたのである。

この事実が分かったとき、サボテンという小道具の意味が大きく変わる。
有平は「捨てられた」と思い込んだ。
しかし実際には、サボテンは誰かに受け継がれ、大切に育てられていた。
人と人とのつながりも同じで、自分には見えないところで、思いもよらない形で受け継がれていることがある。
その事実を知らないことが、有平の悲劇にもつながっていく。

そして、タイトルの『私はあなたを知らない、』も見事な伏線になっている。

この言葉は、最初は有平が朝子を自分に近づけさせないために使う。
「私はあなたを知らない、」と言うことで、朝子との関係を拒絶し、自分の領域に入ってこないようにするための言葉だった。

ところが、ラストでは、その言葉を朝子が使う。
今度は朝子が、有平のことを忘れるために「私はあなたを知らない、」と言うのである。

同じ言葉なのに、言う人間が入れ替わることで意味が反転する。
最初は有平から朝子への拒絶だった言葉が、最後には朝子自身が有平との記憶を断ち切り、前へ進むための言葉になる。

これは非常に見事な伏線回収だと思った。
パン切り包丁、サボテン、そしてタイトル。
それぞれが物語の中で何気なく提示されながら、最後には別の意味を持って観客の前に戻ってくる。
脚本の構成力を感じさせる部分だ。

そして、早瀬憩の演技もよかった。
朝子という人物が、有平や母親である紗月について知らなかったことを知っていく中で、戸惑い、警戒し、やがて自分自身の感情と向き合っていく。
その微妙な心の変化を、早瀬憩は大げさに表現することなく、繊細に演じている。
特に、相手を知ることで、それまで自分の中にあった人物像が少しずつ崩れていく感覚が、表情や間から伝わってきた。

一方で、少し惜しいと思った部分もある。

話題のテレビドラマ『Tシャツが乾くまで』のメインキャラクター達もそうだが、表面的には「普通」の人たちが、実はどこかで少し破綻していたりする。
この主人公の有平も、そういう部分があった。
それだけに、もう少し有平の幼少期のエピソードを深く描いても良かったかもしれない。

なぜ彼は、これほどまでに「家族」というものを求めるようになったのか。
なぜ普通の家庭に対して、これほど強い執着を持つようになったのか。
その原点となる幼少期がもう少し描かれていれば、有平という人物の危うさや悲しさが、さらに立体的に見えてきたように思う。

それでも本作を観終わって強く残ったのは、「家族とは何なのか」という問いだった。

血がつながっていることが家族なのか。一緒に暮らすことなのか。それとも、誰かを思い、その思いを別の誰かへ受け渡していくことなのか。

サボテンは、有平から紗月へ、そして紗月から祖母へと渡り、結果として朝子にもつながっていく。
一方で、有平はその事実を知らないまま、「捨てられた」と思い込んでしまう。
そこに、本作が描く家族の難しさがある。

人は、家族のことをすべて知っているわけではない。むしろ、最も近い存在だからこそ、知らないこともある。
そして、その「知らない」ということが、人を傷つけることもあれば、逆に誰かが自分の知らないところで残してくれた愛情に気づくきっかけにもなる。

『私はあなたを知らない、』は、家族の温かさだけを描いた作品ではない。
家族を求める気持ちの強さが、ときに人を追い詰め、取り返しのつかないところまで連れていってしまう危うさも描いている。

だからこそ、観終わった後に考えさせられるのは、事件の結末だけではない。
「自分は本当に家族のことを知っているのだろうか。そして、家族にとって自分はどんな存在なのだろうか」。
そんなことを深く考えさせられる作品だった。