映画『ラスト・サバイバー』
リドリー・スコットといえば、映画史に残るSF作品を数多く手掛けてきた巨匠である。
『エイリアン』で宇宙空間の恐怖を映像化し、『ブレード・ランナー』では、酸性雨に濡れた近未来都市を舞台に、人間とは何かという哲学的な問いを描いた。
さらに『グラディエーター』では歴史スペクタクルを、『ブラックホーク・ダウン』では戦争映画を、『オデッセイ』では宇宙を舞台にしたサバイバルドラマを手掛けるなど、ジャンルを横断しながら独自の映像世界を築いてきた監督である。
<ストーリー>
謎のパンデミックにより人口の大半が失われ、生き残った者たちが奪い合いを繰り広げる荒廃した世界。
パイロットのヒッグは、元軍人のバングリーと共同戦線を張ることで日々を生き延びていた。
心の拠り所は、愛犬ジャスパーの存在と亡き妻の記憶だけ。
そんなある日、彼のもとに無線を通じて謎の声が届く。
世界の終わりになお希望が残されているかもしれないと考えたヒッグは、その声に導かれるように、未知の空へと飛び立つ決意を固める。
だがその先に広がっていたのは、凶暴な動物や容赦ない襲撃者がはびこる、殺すか殺されるかの過酷な現実だった。
そんなリドリー・スコットが、人類が何らかの理由によってほぼ死滅してしまった世界を舞台に、生き残った人々を描く。
それが『ラスト・サバイバー』だ。
こうした設定の映画は決して珍しくない。
むしろ、現在では一つのジャンルとして確立されていると言っていい。
例えば『クワイエット・プレイス』は「音を立ててはいけない」というルールによって緊張感を生み出し、『28日後…』は感染者に追われる恐怖を前面に押し出したスリラーだった。
一方、本作のテイストは、それらよりも『アイ・アム・レジェンド』に近い。
もちろん世界の終末という設定は共通しているが、何者かに襲われる恐怖だけを描くのではなく、荒廃した世界で生き残った人間が、孤独や希望とどう向き合うのかという、よりヒューマンドラマに近い作品なのである。
だからこそ期待していた。
何しろ、この作品を監督するのが『ブレード・ランナー』のリドリー・スコットだからだ。
文明が崩壊した世界をどのように映像化するのか。極限状態に置かれた人間をどう描くのか。
そこには、単なる終末映画とは違う何かがあるのではないかと思っていた。
しかし、実際に観てみると、どうにも既視感が強い。
人類がほぼ滅亡した世界。わずかに生き残った人々。文明から切り離された生活。
そして、その中で芽生える人間同士の関係性。
どれも過去の終末映画で何度も描かれてきた要素であり、本作ならではの新鮮な視点が、なかなか見えてこない。
もちろん、リドリー・スコットらしい映像の重厚感はある。
荒廃した世界の風景にも一定の説得力があり、人間がいなくなったことで変質してしまった世界を眺める面白さもある。
ただ、それだけに「この設定をリドリー・スコットがどう料理するのか」という期待に対して、意外性が乏しく感じられてしまう。
そして、個人的に最も引っかかったのがエンディングだ。
生き残った人々が集まり、どこか楽しげな空気の中で物語が終わる。
その「これから新しい人生が始まる」というハッピーエンド感が、どうもしっくりこなかった。
人類がほぼ死滅するほどの惨劇を経た世界なのだから、もう少し苦味や不穏さを残した終わり方でもよかったのではないか。
むしろ、そのほうが本作の世界観には似合っていたように思う。
決してつまらない映画ではない。
しかし、『ブレード・ランナー』や『エイリアン』を生み出したリドリー・スコットが描く終末世界として期待すると、どうしても「もっと何かあるはず」という物足りなさが残る作品だった。
