映画『未来』

しかし、細田佳央太って、よく出るなあ…。

<ストーリー>
複雑な家庭環境で育ちながらも、祖母の期待に応えて教師になる夢をかなえた篠宮真唯子。
ある日、彼女の教え子である佐伯章子のもとに、「20年後のわたし」と名乗る人物から手紙が届く。
半信半疑のまま返事を書くことで、父を亡くした悲しみや心を閉ざした母との孤独な日々に耐える章子だったが、母の恋人からの暴力や、いじめ、そして信じがたい事実が彼女を追い詰めていく。
深い絶望のなか、章子は唯一の友人である亜里沙と「親を殺す」という禁断の計画を企てる。
そんな章子を救おうとする真唯子は、社会の理不尽さに押しつぶされそうになりながらも手を差し伸べるが……。

映画『未来』面白かった。
だが同時に、かなりつらかった。
観終わったあと、単純な満足感よりも、胸の奥に重い石を置かれたような感覚が残る映画だった。

最近は、エンタメ作品でも「救い」がわかりやすく提示されることが多い。
傷ついた人物は再生し、失われた関係は修復され、最後には観客が安心できる場所へ着地する。
しかし『未来』は、その種の優しさを、最後の最後まで簡単には与えてくれない。

この映画が描くのは、人間の弱さだ。
しかも、劇的な悪人ではなく、ごく普通の人間の中にある身勝手さ、嫉妬、後悔、依存、そして「こうなりたくなかったのに」という感情を容赦なく映し出していく。
だから観ていて苦しい。スクリーンの中の人物を責め切れないからだ。
むしろ、「自分にも似た部分がある」と気づかされる瞬間が何度もある。

特に印象的だったのは、登場人物たちが誰も完全には救われない点だ。
もちろん、ラストには小さな光がある。完全な絶望で終わるわけではない。
人によっては「あれは希望の物語だ」と受け止めるかもしれない。

だが、この映画は決して映画的なハッピーエンドには逃げない。

人生はそんなに簡単ではない、と言わんばかりに、現実の重みを最後まで背負わせる。
過去に起きたことは消えないし、一度壊れた関係は、元通りにはならない。
許されたとしても、記憶は残る。傷跡は残る。
そのうえで、それでも人は生きていくしかない。
『未来』というタイトルには、本来なら前向きな響きがあるはずなのに、この映画ではそれが妙に残酷に聞こえる瞬間がある。

未来とは希望だけではない。過去を抱えたまま続いていく時間でもあるのだ。

演出も非常に巧みだった。
過剰に泣かせようとしない。
音楽で感情を煽りすぎることもない。
その淡々とした演出が、逆に現実感を強めていた。
もしもっとドラマチックな演出だったら、観客は「映画の出来事」として安全な距離から観られたかもしれない。
しかし、この作品は妙に生々しい。
まるで現実の誰かの人生を覗き見しているような居心地の悪さがある。

そして、その居心地の悪さこそが、この映画の力なのだと思う。

正直、観ていて何度も「もうやめてくれ」と思った。
誰かが少し優しくしていれば、少し違う言葉を選んでいれば、ここまで悲惨にはならなかったのではないか。
そんな後悔が積み重なっていく。
しかし現実もそうなのだろう。人は後になってからしか、自分の間違いに気づけない。

だからこそ、ラストのわずかな救いが胸に刺さる。
大団円ではない。問題は解決しきっていない。
それでも、ほんの少しだけ前を向こうとする姿がある。
その小さな光を「希望」と呼ぶしかないほど、この映画の世界は冷たく、厳しい。

この原作は読んでいないけど、まあ、湊かなえらしい作品だと思った。
彼女の作品には、人間の悪意や弱さが静かに沈殿している。
派手な暴力ではなく、日常の中にある小さな歪みが、やがて取り返しのつかない悲劇へ変わっていく。
その描き方が実にうまい。

ふと、こんな陰影の深い物語を書く人は、どんな幼少期を過ごしたのだろうと思ってしまった。
幸福だったのか、孤独だったのか。
それとも、人の感情を過剰に観察してしまう子供だったのか。
もちろん本人にしかわからないことだが、作品を観終わったあと、物語そのものよりも、作家の心の暗がりに興味が向いてしまう。

たぶん、それこそが湊かなえ作品の怖さなのだろう。
物語が終わっても、人間の感情だけが、いつまでもこちらに残り続ける。