映画『ソング・サング・ブルー』

ケイト・ハドソンの『あの頃ペニー・レインと』は素晴らしかった。音楽業界に身を置く人間なら、皆観たことがあるだろう。
しかし私は、彼女のお母さんゴールディ・ホーンの『プライベート・ベンジャミン』の方も好きだったりする。
もちろん年齢的には、劇場ではなく、吹き替え版をテレビで観たことだけは付け加えておく。

<ストーリー>
かつて音楽の夢を追っていたマイクは、今では誰かの“歌まね”でしかステージに立つことができず、人生のどん底にいた。
そんなある日、マイクは同じ情熱を胸に秘めた女性クレアと出会い、敬愛するニール・ダイアモンドのトリビュートバンドを結成する。
小さなガレージから始まったふたりの歌声は、やがて街の人々の心をつかんでいく。
しかしそんな矢先、突然の悲劇が彼らを襲う。

映画『ソング・サング・ブルー』は、その企画段階からある種のマーケティング戦略が透けて見える作品である。
というのも、この映画でのアメリカの興行成績も、映画の内容と同じく、高い年齢層を狙ったものであり、その中心にいるのはニール・ダイアモンドという歌手の存在だ。
しかし、ニール・ダイアモンド全盛期の日本は、別の外国アーティスト達に人気があり、彼自身は来日もしていない。
ゆえに、日本人をひきつける魅力に乏しいという、ある種のハンディキャップを背負っている作品でもある。

この前提を踏まえると、物語の核となるサルディナ夫婦の描かれ方にも、やや距離を感じざるを得ない。
彼らはニール・ダイアモンドの熱狂的なファンであり、その楽曲を愛し、やがてトリビュートとしてステージに立つようになる中年夫婦だ。
どこにでもいる平凡な人々が、音楽によって人生を再発見していくという点では、極めて普遍的で共感を呼ぶ題材である。
しかし、日本においては、その「ニール・ダイアモンド愛」という前提が共有されていないため、どうしても感情移入のハードルが高くなってしまう。
彼らの情熱がどれほど純粋であっても、その対象への理解が薄ければ、観客との間に微妙な距離が生まれるのは避けられない。

それでもなお、本作が一定の感動をもたらすのは、やはり主演二人の力によるところが大きいだろう。
サルディナ夫婦を演じるヒュー・ジャックマンとケイト・ハドソンの歌唱は実に見事だ。
ヒュー・ジャックマンは『レ・ミゼラブル』でその歌唱力を広く知らしめ、舞台出身ならではの安定感と表現力を兼ね備えている。
一方のケイト・ハドソンも、音楽活動や映画での歌唱経験を重ねており、そのナチュラルで温かみのある声は作品にリアリティを与えている。
二人のデュエットには、技術だけでなく人生の機微がにじみ出ており、それが物語の説得力を大きく底上げしている。

そういうわけで、おそらく日本での興行に大きな期待はできないだろう。
しかし、ヒュー・ジャックマンとケイト・ハドソンの歌は紛れもなく素晴らしく、観る者の心に静かな余韻を残す。
題材の壁を越えた先にあるのは、音楽が人生に寄り添うという普遍的なテーマだ。
決して派手ではないが、確かな感動を持った、良質な作品である。