映画『国宝』を観た

歌舞伎という、いわばアンタッチャブルな世界に踏み込んだ作品。
役者の芝居、スケールともに、まさに大作である。
<ストーリー>
後に国の宝となる男は、任侠の一門に生まれた。
この世ならざる美しい顔をもつ喜久雄は、抗争によって父を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。
そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介と出会う。
正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人。
ライバルとして互いに高め合い、芸に青春をささげていくのだが、多くの出会いと別れが、運命の歯車を大きく狂わせてゆく…。
誰も見たことのない禁断の「歌舞伎」の世界。
血筋と才能、歓喜と絶望、信頼と裏切り。
もがき苦しむ壮絶な人生の先にある“感涙”と“熱狂”。
何のために芸の世界にしがみつき、激動の時代を生きながら、世界でただ一人の存在“国宝”へと駆けあがるのか?
圧巻のクライマックスが、観る者全ての魂を震わせる 。
前回、『フロントライン』の129分に対して「もっと長くてもよかった」と書いたが、この『国宝』は175分だ。
実は、私には、ちょっと長かった…。
長尺の理由は、この映画を象徴する歌舞伎の舞台シーンに、存分に時間を費やしているためだ。
天才として描かれている立花喜久雄(吉沢亮)や、師匠の実子であり、ライバル、そして親友でもある大垣俊介(横浜流星)。
この二人の人生を描くには、当然、二人の俳優が稽古を重ね、本物の歌舞伎俳優と見紛うばかりに仕上げてきた女形の芝居を、その演目の特長が表現出来るほどの長尺を費やして描かなければならない。
もちろん、吉田修一の原作小説も、いわゆる「長編」である。
必然的に、3時間の映画となってしまうのだ。
私の感想は、もちろんいい映画だったと思ったし、素晴らしい作品だったと感心した。
ただ、何度か友人に誘われ、歌舞伎座で歌舞伎を観劇してもその魅力に浸りきれなかった男には、やはり少々舞台シーンが長く感じてしまったことだけは、書いておかなければならない。
歌舞伎という世襲芸能の世界に、ヤクザの息子が入り成功するというお話は、ファンタジーでありフェアリーテールではある。
しかし、その「血」というものに翻弄されながらも、やがて人間国宝まで昇り詰めるサクセスストーリーには、リアリティもちゃんとあり、エンターテインメントとして成立していることは言うまでもない。
(歌舞伎の「血」の話もさることながら、人間国宝は、文化審議会という議会が認定するもので、文化審議会は文部科学省に設置されているものであることを踏まえると、中々、紋紋の入ったヤクザの息子を選んでくれるのか?ちょっと疑問は残るが…)
単純な好みの問題を一つ書くと。
撮影のソフィアン・エル・ファニは、天を詰めすぎなのではないか?
アップでおでこが切れるサイズまで寄るのはまだわかる。しかし、GSで人の頭が切れるくらいにフレーミングすると、画がいくつかに分断されてしまい、息苦しく感じるショットが度々あった。
あと、製作配給が歌舞伎の製作、興行を行なっている松竹ではなく、東宝であることも理由は知りたいと思った。
映画『フロントライン』の製作を(プロデューサーの古巣である)フジテレビが担わなかったのと同様に、「日本的な」ウラがあるような気がして、ちょっと興味が沸いた。
まあ、案外、単純な理由かもしれないが。