映画『フランケンシュタイン』
実はこの日、映画を二本観た。『フランケンシュタイン』と『ザ・ブライド』、つまり両方とも「フランケンシュタイン」題材の作品である。
まずは、『フランケンシュタイン』について書かせていただく。
<ストーリー>
己の欲望に駆られたヴィクター・フランケンシュタインは、新たな生命の創造という挑戦に乗り出す。
そして、その果てに誕生した「怪物」の存在が、人間とは何か、そして真のモンスターとは何かを問いかけることとなる。
まさに鬼才ギレルモ・デル・トロの真骨頂と言える作品ではないだろうか。
ギレルモ・デル・トロといえば、『パンズ・ラビリンス』や『シェイプ・オブ・ウォーター』、『ヘルボーイ』といった作品群に象徴されるように、怪物や異形の存在に対する独自の視線を持ち続けてきた作家である。
彼の描く「怪物」は単なる恐怖の対象ではなく、人間社会の歪みを映し出す鏡であり、ときに最も純粋な存在として描かれる。
本作『フランケンシュタイン』もまた、その系譜に連なる作品でありながら、これまで以上に人間の本質に肉薄する深みを獲得している点で、まさに“鬼才”と呼ぶにふさわしい完成度に到達している。
デル・トロの特徴は、美術やクリーチャーデザインへの徹底したこだわりだけではない。
むしろ重要なのは、「異形の存在をどう人間として描くか」という倫理的・哲学的な問いに対する執着である。
本作においても、その姿勢は一切揺らがない。
むしろ、古典的な物語であるフランケンシュタインを題材にすることで、彼の作家性はより純化されている。
科学と倫理、創造と責任、そして孤独と愛。
そうした普遍的なテーマを、ゴシック的な世界観の中に溶け込ませながら、観る者に強烈な余韻を残す語り口は、まさにデル・トロにしかなし得ないものだ。
この作品の素晴らしさは、フランケンシュタインの成長と葛藤を丁寧に描くことで、「化け物」であるはずのフランケンシュタインに感情移入出来得るまでのストーリーに昇華しているという点だ。
従来の作品では、彼はしばしば悲劇的な存在として描かれつつも、その内面に深く踏み込むことは少なかった。
しかし本作では、彼が世界をどのように認識し、他者とどう関わろうとするのか、そのプロセスがじっくりと描かれる。
その結果、観客は彼の孤独や苦悩を「理解する」のではなく、「共有する」ことになる。
特に印象的なのは、彼が言葉や感情を獲得していく過程である。
無垢であるがゆえに残酷な世界に傷つきながらも、それでもなお他者を求めようとする姿は、むしろ人間以上に人間的だとすら感じられる。
ここにデル・トロの真骨頂がある。
彼は「怪物」を描くことで、「人間とは何か」という問いを突きつけてくるのだ。
そしてその問いは、観客自身の内面へと鋭く返ってくる。
また、映像面においても本作は圧巻である。
陰影を強調したライティングや、緻密に作り込まれたセット、美しくもどこか不穏な色彩設計は、ゴシックホラーの伝統を踏まえながらも、現代的な感性で再構築されている。
単なる視覚的快楽にとどまらず、物語と密接に結びついたビジュアル表現は、観る者の感情を静かに、しかし確実に揺さぶる。
この作品はアカデミー賞では9部門にノミネートされ、3部門でオスカーを受賞している。
しかし、この作品は長く劇場で公開されていたわけではなく、主たる出口はNetflixである。
近年、Netflixは映画製作においても存在感を増し続けており、本作のような作家性の強い作品を世界規模で届けるプラットフォームとして機能している点は見逃せない。
従来であれば劇場公開の規模や興行収入に左右されていた作品評価が、配信という形で新たな広がりを見せている現状は、映画の未来を大きく変えつつあると言えるだろう。
デル・トロのような作家にとって、この環境はむしろ理想的なのかもしれない。
作品の本質が、より純粋な形で観客に届く時代が到来しているのである。
