映画『ミステリー・アリーナ』


トリンドル玲奈のキャスティングは、誰の発案だろう?
はっきり言って、見た目での選択は理解できなくもないが、旬を過ぎたタレントを起用する製作体制に、この作品の限界を感じた。(それなら、サプライズで役者以外にすればいいのに)

<ストーリー>
人気司会者の樺山桃太郎が盛り上げるド派手な生放送推理クイズ番組「ミステリー・アリーナ」。
ある難問に正解者が連続して現れず、賞金は100億円までキャリーオーバーされていた。
今回出題される問題は「嵐の中、孤立した洋館で起きた殺人事件」。
この問題に、閃きの天才少女・一子、直感の勝負師・ギャンブル、伝説の初代王者・レジェンド、データ分析のシン人類・仏滅、理論の先駆者・エジソン、博識のミステリー女王・あのミスという、激戦の予選会を勝ち上がった6人の解答者が挑むことになる。
6人はそれぞれの推理力を生かし、複雑に絡み合ったミステリーの謎を解き明かしていく。
しかし、この番組はただ賞金を懸けて争うだけではなく、推理を外した出場者には恐ろしいリスクが待ち受けていた。

『ミステリー・アリーナ』を観てまず感じたのは、「これは映像化の難しいタイプの作品だな」ということだった。
この作品は、ストーリーを要約すれば、それで内容や落ちがほぼすべて伝わってしまう系の原作だ。
もちろん、それ自体は決して欠点ではない。
ミステリーというジャンルには、トリックや真相そのものの面白さによって成立している作品が数多く存在する。

ただ、そのタイプの作品を映画として成功させるには別の武器が必要になる。

それが「ギミック」だ。

観客が結末を知っていたとしても、その過程を見せる演出が圧倒的に面白ければ映画として成立する。
むしろ映画という媒体は、物語以上に見せ方によって価値が決まる部分がある。

しかし本作の場合、そのギミックの部分が弱かったように感じる。
特に気になったのは、舞台設定とのアンバランスさだ。

本作の舞台は、ミステリーを解き明かす派手なクイズショーである。
巨大なセット、観客の熱狂、次々に提示される謎。
言ってみればテレビとゲームとミステリーが融合したような空間だ。

ならば映像もまた、観客を翻弄するようなスピード感や大胆な編集、刺激的なトランジションが必要だったのではないか。

だが実際の映像は意外なほどオーソドックスだ。

もちろん堤幸彦監督は実績ある名監督である。『TRICK』や『SPEC』など、日本の映像エンターテインメント史に残る作品を数多く手掛けてきた。
しかし正直なところ、本作に関しては少し違ったのではないかと思ってしまった。
(それは、年齢的な限界も含めて)
ルックの面でも視覚効果の面でも、新しさをほとんど感じない。
ショーの異様さよりもドラマ部分が前面に出てしまい、せっかくの設定が持つポテンシャルを十分に活かし切れていない印象だった。

むしろ自分が観ながら思い浮かべていたのは、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の監督コンビ、ダニエルズだった。
あの作品は、物語だけを文章で説明すると極めて奇妙で、ともすれば荒唐無稽に聞こえる。
しかし彼らは編集、カメラワーク、視覚効果、音楽の使い方によって、そのカオスを映像体験へと昇華していた。

『ミステリー・アリーナ』も同じ方向性が必要だったのではないか。

観客を混乱させながらも引き込み、映像そのものが謎解きに参加しているような感覚である。
正解が分かることよりも、その過程を浴びることが快感になる映画だ。
そういう演出家が担当していたら、作品の印象はかなり違った気がする。

とはいえ、そこで現実に立ち返る。

では日本にダニエルズのような若い感覚を持った映像作家がいるのかと言われると、なかなか難しい。
かつてならMV業界がそうした才能の供給源だった。
限られた予算の中で実験的な映像を作り、新しい編集感覚やビジュアル表現を生み出す若手が次々と登場していた。
しかし現在のMV界隈は予算縮小が著しい。
挑戦できる環境そのものが失われつつあり、新たな才能が育ちにくくなっている。

一方でCM業界も厳しい。
コンプライアンスへの配慮、炎上回避、企業イメージの統一。
もちろん必要なことではあるが、その結果として最大公約数的な調整作品が量産される傾向が強まった。
尖った映像作家が自由に暴れられる場所は少なくなっている。

つまり、かつてならこうした作品を任せられたかもしれない「映像オタクの天才新人」が、現在はほとんど見当たらないのである。

そう考えると、本作の監督が堤幸彦だったのも理解はできる。
派手な娯楽作品を成立させる技術があり、ミステリー演出の経験も豊富で、現場をまとめる力量もある。

理想を言えばもっと攻めた映像作家で観てみたかった。
だが、その理想を実現できる人材が今の日本映画界にどれだけいるのか?

そう考えると、少し残念な気持ちを抱えながらも、最後には「なら、堤監督で仕方ないか……」という結論に落ち着いてしまうのである。