映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』
『E.T.』という映画をご存じだろうか?
E.T.は、地球に取り残された異星人と、孤独を抱えた少年エリオットとの交流を描いた物語だ。
言葉も文化も異なる存在同士が、心を通わせ、やがて別れの時を迎える。
その過程で描かれるのは、種族を超えた友情と、相手を思いやる純粋な感情である。
極めてシンプルな構造ながら、多くの観客の涙を誘った名作だ。
<ストーリー(『プロジェクト・ヘイル・メアリー』)>
太陽のエネルギーが奪われるという原因不明の異常現象が発生。
このままでは地球は冷却し、人類は滅亡してしまう。
同じ現象が太陽だけでなく宇宙に散らばる無数の恒星で起こっていることが判明し、11.9光年先に唯一無事な星が発見される。
人類に残された策は、宇宙船でその星に向かい、太陽と人類を救うための謎を解くことだった。
この“ヘイル・メアリー(イチかバチか)”プロジェクトのため宇宙に送り込まれたのは、優秀な科学者でありながら学会を去り、いまはしがない中学教師をしていたグレースだった。
彼は地球から遠く離れた宇宙でたったひとり、自らの科学知識を頼りにミッションに臨み、そこで同じく母星を救おうと奮闘していた異星人ロッキーと出会う。
姿かたちも言葉も違う2人は、科学を共通の言語にして難題に立ち向かい、その過程で友情を育んでいくが…。
さて、本作の話に移る。
本作は、宇宙で目覚めた一人の男が、人類滅亡の危機を救うミッションに挑むSF作品だが、その核心にあるのは、やはり「異種との出会い」である。
未知の存在「ロッキー」との邂逅、そして徐々に築かれていく信頼関係は、このジャンルにおける王道とも言える展開だ。
私は、この構造において『E.T.』に似ていると思った。
言葉が通じない相手と、試行錯誤しながらコミュニケーションを取る過程。
最初は恐れや警戒から始まり、やがて理解と友情へと変わっていく流れ。
そして、互いの存在が生きる目的そのものに変わっていく構造。
これらはまさに『E.T.』の焼き直しとも言えるほど共通している。
しかし決定的に違うのは、その「見た目」だろう。
『E.T.』のエイリアンは、不格好ながらどこか愛嬌があり、観客が感情移入できるデザインだった。
一方で本作のロッキーは、いわゆる「クリーチャー」であり、人間的な表情を持たない。というより、顔がない。
理屈ではその知性や優しさを理解できても、直感的に「かわいい」とは感じにくい造形だ。
おそらく、この映画はそこまでヒットしないだろう…。
物語としては非常に優れているにもかかわらず、この一点が大衆的な広がりを阻む要因になる気がする。
もちろんストーリーとしても二転、三転あり面白かったし、ハッピーエンドなのもよかった。
しかし、日本人の女の子には「跳ねない」だろう。
やっぱり❝クリーチャー❞が出る映画は「カワイイ!」がなきゃ流行らない…。
