ネトフリ映画『ハウス・オブ・ダイナマイト』
サブスクの動画配信サービスが乱立しており、Amazon Prime以外の契約がない私は、『SHOGUN 将軍』も『新幹線大爆破』(←新しい方)も観ていない。
この作品は『ハート・ロッカー』のキャスリン・ビグロー監督の新作ではあるが、NETFLIX作品であるがゆえに観れないものと思っていた。
しかし一部の劇場でも公開されたので、早速観ることにした。
<ストーリー>
ごくありふれた一日になるはずだったある日、出所不明の一発のミサイルが突然アメリカに向けて発射される。
アメリカに壊滅的な打撃を与える可能性を秘めたそのミサイルは、誰が仕組み、どこから放たれたのか。
ホワイトハウスをはじめとした米国政府は混乱に陥り、タイムリミットが迫る中で、どのように対処すべきか議論が巻き起こる。
結論から言うと、「テレビで観るべき(テレビで十分な)作品」で、2000円を出す必要はなかったかな、と。
私は作家トム・クランシーの映画化作品が好きだ。
この映画も、アメリカの危機に対して誰か(?)が活躍して救う、という映画なのかな、と勝手に思っていた。
タイトルの『ハウス・オブ・ダイナマイト』という強烈な言葉からして、国家機密、陰謀、テロ、そして爆発的展開を連想してしまうのは、もはや映画ファンとしての性だ。
だが実際に観てみると、その期待はほとんど裏切られる。
作品が描いているのは、派手なアクションでも、英雄譚でもなく、「危機そのものを前にして何もできない人々」なのだ。
やはり私の中に、実際に起こってしまったこと(ミサイル攻撃)に対して、誰も活躍しないし誰も解決しない、ということに対する「映画的欲求不満」が起きてしまうし、しかも実際にまだ被害が起こる前から「要職に就く人間があたふたしている」ということに対して、どうもリアリティを感じないのだ。
国家レベルの危機に直面しているのに、軍や政府の動きがまるで素人の集まりのようで、観客は物語に没入できない。
登場人物たちは互いに責任をなすりつけ合い、机上の空論を並べるばかりで、現場感覚のある描写はほとんどない。
そこに「アメリカ映画らしい力強さ」や「知的な緊張感」が欠けているのだ。
例えば、同じく国家危機を描いた『クリムゾン・タイド』や『エア・フォース・ワン』では、どんなに非現実的な設定でも、登場人物たちの決断や行動に説得力があり、観客はそこに「カッコよさ」や「理想のリーダー像」を見出すことができた。
ところが『ハウス・オブ・ダイナマイト』では、それがまるでない。
むしろ、誰も何も決められず、誰も信念を持っていない。
その空虚さをリアルと取るか、退屈と取るかは観る側次第だが、少なくとも私は「退屈」と感じた。
監督はおそらく、現代アメリカの分断や政治的不信を背景に、「誰もヒーローではない現実」を描こうとしたのだろう。
しかし、その試みは成功していない。
なぜなら、リアリズムを追求するあまり、映画が持つべき「物語の推進力」や「感情の流れ」が失われているからだ。
ニュース映像を見ているような無機質さが全編を覆い、登場人物の誰に共感してよいのかもわからない。
結果として、作品全体が「何も起きないまま終わる映画」になっている。
もちろん、そういう静かなドラマ性を狙う手法もある。
しかしそれを成立させるには、登場人物の心理の微妙な揺らぎや、沈黙の中に潜む緊張感といった演出が必要だ。
だがこの映画には、それがない。
登場人物たちは終始同じテンションで、不安を口にするだけ。
音楽も単調で、観客の感情を揺さぶるような場面が一つもない。
要は、それぞれ立場の違う人間たちの心理描写を描いたサスペンスなのだろうが、リアリティがないから感情移入ができないし、カタルシスも得られない。
そして、起きたことを描く映像も、映像表現的な目新しさもないので面白く感じないのだ。
でももしかしたら、一般のアメリカ人が観たら、面白いのだろうか?
それもネトフリ作品では興行収入データもないのでよくわからないが…。
