映画『サブスタンス』

こわい…。
観ようと思っていたのだが、映画館で観損ねた作品。
結局、家でアマプラで観たのだが、大正解!
映画館だったら、怖くて(気持ち悪くて)、途中で劇場を出てしまったに違いない(苦笑)。

<ストーリー>
50歳の誕生日を迎えた元人気女優のエリザベスは、容姿の衰えによって仕事が減っていくことを気に病み、若さと美しさと完璧な自分が得られるという、「サブスタンス」という違法薬品に手を出すことに。
薬品を注射するやいなやエリザベスの背が破け、「スー」という若い自分が現れる。
若さと美貌に加え、これまでのエリザベスの経験を持つスーは、いわばエリザベスの上位互換とも言える存在で、たちまちスターダムを駆け上がっていく。
エリザベスとスーには、「1週間ごとに入れ替わらなければならない」という絶対的なルールがあったが、スーが次第にルールを破りはじめ……。

本作『サブスタンス』は、いわゆるボディホラーの系譜に連なる映画だが、単なる肉体破壊やグロテスクな描写を楽しむ作品ではない。
むしろ、その不快感や嫌悪感こそが、本作のメッセージを観客に刻み込むための装置として機能している。
観ていて「目を背けたい」と感じる瞬間が何度もあるが、そのたびに、これは自分自身の価値観を試されているのだと気づかされる。

物語の核にあるのは、老いと美、そして価値の問題だ。
現代社会は、若さや美しさを過剰に崇拝する。
SNSや広告、映像作品の氾濫によって、「美しくあること」が努力目標であり、同時に義務であるかのように刷り込まれている。
本作が描く恐怖の神髄は、まさにそのルッキズムが極限まで推し進められた世界にある。
美しさを失った瞬間、人は価値を失う。
ならば、美しさを補填し、更新し続ければいい。その発想がどれほど危険で、どれほど空虚かを、本作は容赦なく突きつけてくる。

「より若く、より完璧な自分」を求めた先に待っているのは、解放ではなく分断である。
肉体と精神、自我と欲望が引き裂かれ、やがて主体そのものが崩壊していく。
その過程はあまりに生々しく、直視するのがつらい。
しかし、だからこそ目を逸らしてはいけないのだと思わされる。
これはスクリーンの中だけの話ではない。私たちは日常的に、他者の外見を値踏みし、同時に自分自身の外見を監視している。
その延長線上に、この悪夢は確かに存在している。

デミ・ムーアはさすがである。
『ゴースト/ニューヨークの幻』の可憐でキュートな女性のイメージなどかけらもない、あらゆる意味で「醜い」女性という難役を見事に演じ切っている。
多分…。
私がプロデューサーなら、こんな役柄、恐ろしくてオファーさえ出せないだろうな…。